『御所桜堀川夜討』 ごしょざくら ほりかわようち
弁慶上使の段 (時代物)
○ 主な登場人物
武蔵坊弁慶 源義経の家来
卿の君 義経の正室で平時忠の娘
おわさ しのぶの母
信夫 腰元でおわさの娘
○ あらすじ
平家滅亡の立役者であった源義経。しかし義経は兄の頼朝から謀反の疑 いが掛けられている。それは義経の正妻・卿の君(きょうのきみ)が平家一門、平時忠(ときただ)の娘だったからだ。「頼朝への忠誠を示すなら卿の君の首を差し出せ!」と鎌倉からは度重なる催促が来ていた。
卿の君は懐妊中で養育役の乳人(めのと)、侍従太郎(じじゅうたろう)の館で静養している。そこへ姫の腰元をしている信夫(しのぶ)の母・おわさが訪れる。おわさはとても明るい性格で姫もお気に入りの女性だった。打ち解けて穏やかな時間を過ごしていたが、そこへ武蔵坊弁慶が現れる。
これは鎌倉方が京に構える拠点、堀川御所から頼朝らの命を受けてやって来た上使であった。かねて侍従太郎には命じていたが、弁慶は卿の君自身にも、暗に“最期の覚悟”を促し、ひとまずは館の奥へ下がる。その際に弁慶は部屋の隅に居た、おわさと信夫を一瞥した。
弁慶が何と言おうとも、太郎には卿の君の首を打つことなど出来ない。ここは断腸の想いで、腰元の信夫に“姫の身替り”になって欲しいと頼む。母のおわさは驚き「私は承知しない」と答える。
娘・信夫の父は誰とも判らない。十八年前、おわさがある男性とたった一度契りを結んで別れていた。「その父にもう一度娘を会わせるまでは死なす訳にはいかない」と訴える。おわさは肌身離さず身に付けていた、別れた男の片袖を証拠として見せる。
すると背後からいきなり何者かが信夫を斬りつけた。弁慶だった。十八年前に別れた、おわさの相手、信夫の父親が鬼若こと弁慶で、驚くおわさに片袖を示すと、それは、おわさが身に付けたものと同じであった。
おわさが一目会わせたいと言っていた、その父に斬られた信夫が不憫で、弁慶は生涯で唯一の涙を流す。そして、信夫の首を本物に見せるため、責任を取る形で切腹した太郎の首も携え、弁慶は館を後にした。
○ ここを観て・・・聴いて・・・
弁慶がまだ鬼若という稚児で播州書写山(しょしゃざん)・円教山(えんぎょうじ)で修行していた時、おわさとたった一度の契りを結んだ。鬼若はその際、外の物音に驚いて飛び出そうとし、おわさは必死になって鬼若にしがみつき片袖を切り離した。稚児の赤い袖で、これが書写山という名に因み“筆と硯の刺繍”が入っている。
◎ 『勧進帳』にもある話
日本人なら誰でも知っている弁慶だが、歴史的な事実として伝わったものは少なく、多くは伝説の類となっている。その伝説の中に弁慶は「生涯で一度も泣かなかった」「女性と関係を持たなかった」というものがある。それを逆手に取り、弁慶に子供を持たせ、泣かせる趣向にしたのが、この作品のポイント!
歌舞伎十八番『勧進帳』の大詰、弁慶が酒を飲むくだりで「一度まみえし女さへ・・・」と長唄にあるが、それは先に書かれた、この作品がヒントになっていたのかも知れない。
( 了 )