卅三間堂棟由来
さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい
時代物 平(へい)太郎(たろう)住家(すみか)から木遣音頭の段
「主な登場人物」
横(よこ)曽根(そね)平(へい)太郎(たろう)=お柳の夫で前世は梛(なぎ)。
お柳(りゅう)=平太郎の女房で前世は柳。
みどり丸=平太郎とお柳の子。
「あらすじ」
名前に柳の文字が見えるが、女房お柳は人間ではなく、実は柳の木の精だった。話は前世にさかのぼる。熊野特有の梛の木、それと柳の木が互いの枝を伸ばして絡み合う「連理」の状態になっていた。この連理の形は男女の交わりにも似たもので、その光景を見た修験者の蓮華(れんげ)王坊(おうぼう)は、行場の穢れであると二本の枝を切り離した。
梛の木はその後、現世で人間の横曽根平太郎に生まれ変わったが、柳の木は人間に生まれ変わることが出来ず、そこで柳の精は、元の梛の木こと、人間となった平太郎の妻になろうと、お柳という人間に姿を変えた。
その平太郎とお柳が夫婦になって五年、みどり丸という子供も生まれ幸せな生活を送っていたが、ここに思いがけないことが起きる。都にいる白河法皇には頭痛の病があった。その法皇こそ、梛と柳を切り離した蓮華王坊の生まれ変わりで、王坊は二つの木の恨みで非業の最期を遂げていた。そして亡くなった王坊のドクロは楊枝村の柳の木に留まり、柳が揺れる度に法皇は頭痛の病を起こした。そこで病を取り除く為、柳の木を切り倒しドクロを納めるお堂、三十三間堂(蓮華王院)の棟木(むなぎ)にすることにした。女房お柳は柳の木の精なので、柳が切り倒されてしまえば、お柳も死んでしまう。
外の柳に斧が入れられると、家のお柳も苦しみだす。もう時がない。お柳は自身の秘密を打ち明け、そして所持していたドクロを夫に渡し、これを都に持参して出世して欲しいと話す。ついに、お柳は姿を消す。切り倒された柳は、都へと曳(ひ)かれていった。
「ここを観て・・・聴いて・・・」
人間以外のものが、人間と夫婦になるものとして、他に『芦屋道満大内鑑』の狐葛の葉がある。それは動物だが、ここでは柳という植物であるところが珍しい。しかし物語では、人間となんら変わらない夫婦親子の情愛が語られる。またそれだけでなく、仏教的な前世や現世に因縁などという話が加わり複雑だが、これがないと、単なるお涙頂戴ものになってしまう。
◎ 柳の大木が人間に見えて
切り倒された柳を人足たちが曳く時に歌うのが木遣音頭で、これは「和歌の浦には名所がござる、一に権現、二に玉津嶋・・・」と続く耳に心地良いものだ。この柳ことお柳が、熊野を離れることを悲しみ、人足がいくら曳いても大木が動かなくなると、今度はみどり丸が一人で曳き、木遣音頭は前と同じ節を、ゆっくりと悲しげに平太郎が歌う。「むざんなるかな幼き者は、母の柳を都へ送る・・・」。すると柳が動き出し、みどり丸は「こりゃ俺がかか様か」と大木に縋りつく。たとえ相手が木でも正に親子の別れで、観ているこちらは、胸が熱くなる。
( 了 )