『新版歌祭文』 (しんぱんうたざいもん) 世話物
野崎村の段
「主な登場人物」
お染 久松と恋仲の油屋一人娘。
久松 油屋の丁稚。
お光 野崎村に住む久松の許婚。
久作 お光・久松の養父。
「あらすじ」
ここは大坂の郊外、野崎村。百姓久作の家では、娘お光が久松と挙げる祝言の仕度をしている。久作には二人の子があり、お光は後妻の連れ子で、久松は侍からの預かり子だった。
血縁のない二人は兄弟のように育てられ「将来は夫婦に」という久作の願いから許婚の間柄になっていた。久松は大坂の油屋で丁稚奉公をしていたが、お金のトラブルに巻き込まれて実家に返され、久作はこの機会に祝言をと考えた。
その祝言の当日、大坂から久松が奉公する油屋の娘お染がやってくる。お染久松の二人は、主人と奉公人という間柄を越え、深い仲になっていたのだ。久松が実家に帰されたことで二人は離れ離れとなり、お染は「久松にどうしても会いたい」と野崎村の観音様を拝みに行くと嘘をついてやって来た。
お染が家の中を窺うと意外な光景が目の前に。久松と年頃の娘が深い関係にあった。「そういう女性がいるのなら…」と、いったんは身を引こうとしたお染。しかしお染には久松と離れられない深い訳があった。それは“久松の子”を身ごもっていたのである。
お光は外にいるお染に気付く。これから祝言だというのに、とんでもない“恋敵”の出現。やきもきするお光を押さえ、久作はとりあえず、お染と久松、二人だけで話し合いをさせる。お染はお腹の子供の事を久松に知らせ「こうなった上は心中を」と誓い合う。
それと知った久作は命懸けで二人を止めようとする。そして、お光も現れる。綿帽子を被った花嫁の姿だったが、それを取ると髪を下ろしていた。これは尼になるということ。「自分が身を引いて二人を一緒にさせよう、そうすれば二人は死ななくても済む」と考えたのである。
深い悲しみの中、お染の母が訪れ、娘と久松を大坂へと連れ帰る。世間の目をはばかり、お染は舟で、久松は駕籠でと、別れての帰りだった。
「ここを観て・・・聴いて・・・」
一人の男をめぐって二人の女。典型的な“三角関係”のパターンである。結末は、お光が身を引いて二人の心中を止める、お光の“自己犠牲”を描いている。
幕開きに、いそいそと祝言の仕度をしていたお光が、段切りでは悲劇のヒロインになってしまう。尼になることは、もう誰の嫁にもならないということ。一生、心の中で久松を想い続けるということだろう。
◎ 華やかな三味線の影で
お光は自分が身を引くことで、二人を助けられたと思ったが、お染のお腹の子までは知らなかった。二人はやはり死ぬ運命にあり、後の段で“心中”を遂げる。「お光にだけ犠牲を強いて、お染久松の二人は幸せになる…」。そんな身勝手な展開にはならないのです。
野崎村の段の“段切”は、三味線のよく知られた旋律が奏でられる。ツレ弾きの入った、とても華やかな曲調である。しかし「華やかなればこそ、お光や、お染久松の悲劇が浮かび上がり」、最後は深い感動に包まれる。
( 了 )