『壷坂霊験記』(つぼさかれいげんき) 世話物
沢市内より山の段
「主な登場人物」
お里 沢市の女房
沢市 お里の夫で盲目の座頭。
「あらすじ」
沢市は沈んだ表情で口を開く。「コレお里、わしゃそなとに、チト尋ねたいことがある…」。大和国は壷坂寺の麓・土佐町に夫婦の家はあった。そこから女房のお里は毎晩、明けの七つ(午前四時)になると抜け出し、沢市はそれを他の男との浮気ではないかと疑った。
お里は顔色を変えて反論する。「聞こえませぬ、あんまりじゃないですか!」。お里は壷坂寺の観音様に願掛けの夜参りをしていたのだ。その願いはたった一つ、夫の目が開くようになること。二人は幼い頃から兄弟のように育てられ、やがて夫婦になった。
不幸にも沢市は、生まれてスグの疱瘡(天然痘)で盲目になっていたが、お里は夫に献身的に仕えた。三年間続けた願掛けも今日で満願。女房に誤解を詫びた沢市は一緒に寺へ向かい、三日間のお籠りの祈願をすることになった。
壷坂寺山上に来て、お里は参籠に必要なものを取りに家へ戻る。一人になった沢市は考えた。「女房がこれまで一心に祈っても駄目なものが、これ以上どうなるというのだ。私が死ねば、女房は他の男と幸せに暮らせるはず…」。沢市は覚悟を決め、谷底へ身を投げた。山へ戻ったお里は崖の上から沢市の死骸を見つける。覚悟の自害と知ったお里は「沢市を一人で死なせはしない」と、急ぎ身を投げ、後を追った。
夫婦が身投げした谷底。そこへ観世音が姿を現し、お里の貞節と信仰心を褒める。そして二人を生き返らせ、沢市の目も見えるようにすると告げる。二人は息を吹き返し、目の開いた沢市は女房お里をはじめて見る。「この奇跡も観音様のおかげ」と二人は深く感謝し、よろこびの万歳を舞う。
「ここを観て・・・聴いて・・・」
これは明治時代に作られたもので、文楽・人形浄瑠璃では新作の部類に入る。「実は・・・だった」というように、文楽では趣向を凝らした複雑な展開の物語が多い中、この作品は、お里沢市の夫婦愛をストレートに描く。
そして有名な、お里のクドキ「三つ違いの兄さんと~」。ここが聴きどころで、お里の「貞女ぶり」が語られる。後に観世音の心まで動かす、お里の真実の姿が明らかになる。
◎ 仏教のCMドラマ?
そもそもタイトルにある「霊験」とは、人の願いに応じて神仏が与えてくださる御利益、不思議な奇瑞・奇跡のこと。そうした点を作品で描き、仏教の有難みを広くアピールしようとした。これは明治時代の初期、廃仏毀釈という仏教には苦難の時期があり、その運動が収まった頃、仏教復興を願って上演されたもの。
芝居の関係者は、仏教のアピールを第一に考えたが、観客はむしろ、お里沢市の“夫婦愛”に感動した。
(蛇足)
原作では西国三十三所の霊場、それぞれをオムニバス形式で描き、近江国・石山寺に関する物語が、現在の『良弁杉由来』になっている。
( 了 )