『絵本太功記』(えほんたいこうき) 時代物
尼ヶ崎の段
「主な登場人物」
武智光秀 主人公で史実の明智光秀。
操 光秀の妻。
武智十次郎 光秀の一子。
皐月 光秀の母。
初菊 武智十次郎の許婚。
真柴久吉 史実の羽柴(豊臣)秀吉。
「あらすじ」
戦国時代、尾田春長(織田信長)は敵対勢力を容赦なく滅ぼし、神社仏閣までも破壊したため“安土の鬼”と呼ばれ恐れられていた。
そんな主君を諌める武智光秀であったが、かえって春長の不興を買い、その家臣から額を打ち据えられるという屈辱を受ける。さらに領地没収に等しい命が下さると光秀はついに決起し、本能寺で春長を討った。
光秀の母・皐月は謀反人となった我が子が赦せず、家族の元を離れ、尼ヶ崎で一人暮らしをしていた。この尼ヶ崎の閑居へ、関係する人々が次々と集まる。まず、光秀の妻・操と、一子・十次郎の許婚、初菊。そして一夜の宿を求める旅の僧。実はこれが、弔い合戦で光秀を討とうとしていた真柴久吉だった…。そして物陰には、旅僧の正体を見破った光秀の姿もあった。
武智十次郎も初陣の許しを得ようと、祖母に当たる皐月の元を訪れる。皐月は出陣の願いを許し、合わせて「初菊と祝言も挙げるように」と命じる。討死を覚悟した孫に「せめて心残りのないように」との思いやりだった。そして十次郎は死を決して出陣する。
女たちが悲しみに暮れる中、旅僧こと久吉が「風呂が沸いた」と母の皐月に知らせる。皐月は一番風呂を断り旅僧に勧める。旅僧が湯殿に入るのを見た光秀。「今こそ、久吉を討つ絶好の機会!」と湯殿へ竹槍を突っ込む。しかし聞こえたのは女の泣き声。光秀が刺したのは母の皐月であった。皐月は光秀の罪深さを思い知らせるため“わざと”我が子・光秀の手に掛かったのだった。
そこへ、半死半生の十次郎が戦場から駆け込み、父へ退却を進言する。そして、旅僧から大将の姿に改まった久吉が光秀と対面し、後日の再会を約して両者は別れる。
「ここを観て・・・聴いて・・・」
徳川家と関わりのあった武将の名を書き換えるのは、江戸時代の芝居の基本テクニック。そこでタイトルも太閤秀吉の『太閤記』でなく、わざと『太功記』としている。しかしタイトルは「たいこうき」であっても、主人公は秀吉に当たる真柴久吉ではない。歴史的には“謀反人”の評価が下されている明智光秀こと武智光秀である。
◎ 悲劇の英雄像
作者は光秀を「暴君を討ち取りながら天下を取れなかった“悲劇の英雄”」として描いている。光秀の眉間に残る三日月形の傷は、信長こと春長の暴虐ぶりを表わすもので、光秀への同情心が湧く。
光秀は「我は暴君を討ったのだ」と、その信念に揺るぎはない。しかし、母の皐月はわざと光秀の手に掛かり、妻の操も「これ見たまえ光秀どの~」とクドキで夫を責め立てる。我が子の十次郎は死を目前にしながら、父を逃そうと必死に訴える。こうした肉親の情愛に触れ、ついに光秀は泣き崩れてしまう。
「さすが勇気の光秀も、親の慈悲心、子ゆえの闇、輪廻の絆に締めつけられ、こらへかねて、はらはらはら、雨か涙の汐境、浪立ち騒ぐごとくなり」。この大オトシの語りで、悲劇はクライマックスを迎える。
( 了 )