『菅原伝授手習鑑』 すがわらでんじゅ・てならいかがみ 時代物
四段目~寺子屋の段
「主な登場人物」
松王丸 三つ子の一人で藤原時平の舎人。
千代 松王丸の女房。
小太郎 松王丸と千代の子。寺子屋の新入生。
武部源蔵 菅丞相の門弟で寺子屋の師匠。菅秀才を匿う。
戸浪 源蔵の女房。
菅秀才 菅丞相の子。時平一味に命を狙われている。
「あらすじ」
これは平安時代の菅原道真・大宰府流罪事件を下敷きにした作品。長編の五段構成の内、この寺子屋の物語は四段目に当たる。
発端の初段で事件は起こる。学者であり政治家でもあった菅丞相・菅原道真は朝廷内で実力ナンバー2の右大臣。ナンバー1の左大臣だった藤原時平は、帝の信任の厚い丞相を失脚させるため“謀反”という無実の罪に陥れ、筑紫国へ流罪にした。
菅丞相の別荘を管理する四郎九郎(後の白太夫)には三つ子がいた。三つ子の名は梅王丸・松王丸・桜丸で菅丞相が名付け親になっていた。三つ子は成長し貴人の牛飼い舎人になる。これは牛車を扱う役で現代風に言えば“お抱えドライバー”といったところ。三つ子が仕えていた主人は梅王丸が菅丞相、松王丸は藤原時平で、桜丸は帝の弟宮・斉世親王だった。松王丸が一人、悪人の時平に仕えていたというところが物語のポイント。
菅丞相を失脚させた時平一味の次の狙いは、丞相の一子・菅秀才を亡き者にすることだった。菅秀才は今、丞相の書道の弟子・武部源蔵の元に匿われている。源蔵は京の都の奥、山深い芹生の里に寺子屋を開き、そこで読み書きを教える師匠となり、女房の戸浪と共に菅秀才を我が子と偽って暮らしていた。
しかし時平一味はそのこと察知。源蔵に「菅秀才を匿っていることは判っている。おとなしく首を渡せ」と迫っていた。源蔵に若君を殺すことなど出来ない。そのように追い詰められた状況の中、寺子屋に小太郎という新入生が入って来た。見れば公家の子供かと思うほどの品の良い顔立ちで、源蔵は「この子なら菅秀才様の身替りに出来る」と確信する。
やがて、菅秀才の首を受け取りに松王丸らがやってくる。もはやこれまでと、源蔵は小太郎の首を打ち、その身替りの首を松王丸の前に差し出した。首の真偽を確かめる“首実検”を行った松王丸は「確かに菅秀才の首である」と言い、源蔵と女房戸浪は安堵する。
松王丸らは引き揚げるが、一難去ってまた一難。殺された小太郎の母・千代がやって来たのだ。もうこうなれば口封じのため千代も殺すしかない。ところが千代からは意外な言葉「我が子は菅秀才様のお身替りになりましたか・・・」。
つまり初めから小太郎を犠牲にする覚悟で寺子屋に送り込んでいたのだった。
このあとまたドンデン返しの展開で、実は千代の夫であった松王丸がやって来る。最前の首実検で我が子の首と判っていながら、菅秀才の首と偽りの答えをした訳を語る。菅丞相に敵対する時平に仕えていた松王丸だったが、名付け親で自分のことを最後まで信じてくれていた丞相の役に立ちたいと思い、若君の救出、つまり我が子を犠牲にする身替りの策を実行したのだった。
最後に小太郎の弔いが行なわれる。「いろは送り」と呼ばれる、悲しくも美しい場面。松王丸は丞相様のお役に立った喜びと、我が子を失った悲しみ。この二つの想いを抱きながら芹生の里を去った。
「ここを観て・・・聴いて・・・」
寺子屋の師匠・武部源蔵は初段で菅丞相から筆法の伝授を受けていた。今は手習いを教えるということで、この四段目は作品のタイトル『菅原伝授手習鑑』という、そのものの世界。
その源蔵の言葉で有名なのが「せまじきものは宮仕へ」というもの。若君を助けるためとはいいながら、何の罪も無い子を殺さなければならない。「嗚呼、宮仕えなど、するべきではないなあ・・・」という、ここは血を吐くような想いで語るところ。
最後、小太郎の亡骸を回向する場面を「いろは送り」と呼んでいる。いろは歌の「色は匂へど散りぬるを~」と続くところを巧みに書き換え、ここでは「いろは書く子はあへなくも、散りぬる命是非もなや~」としている。
ここは大変美しい曲に乗せ悲劇を語っている。悲劇だからと、暗く沈んだ調子にはならない。ちょうど悲劇を歌い上げるオペラのアリアを思わせる。
( 了 )